カーテンをすり抜けて部屋に入ってきた朝の光の中で、一輪だけ飾った花が、なんでかその場所を自分の部屋でないみたいに、ちょっと特別な空間にして見せる。
美味しい料理とお酒や、ご褒美の旅行みたいに、昔から気持ちを元気にしてくれるものの一つが花だった。
何も喋らないで、ただそっと静かに、そこにある愛おしい存在……というだけが「花」だったら、飽きっぽい私は、とっくに興味をなくしていたと思う。
唯一無二の色をもつ自然の素材を使って、季節ごとに色彩のコーディネートを楽しむことは、私にとって日常の喜びだった。
春は、パステルカラーの柔らかな花びらの花たちをシルバーグリーン色の葉と束ねて、桜を待つまだ寒い部屋に飾り、春の足音を聴いて。
夏は、透明な白と鮮やかな緑の爽やかな草花を、気泡を含んだガラス器にいけて、風呂上がりのビール片手に揺れる草花を眺めながら、風と涼を感じて。
秋は、深いオレンジから茶に染まる実と紅葉した枝葉とを、錆のかかったアンティークの銀プレートにアレンジして、深まりゆく季節に想いを馳せて。
冬は、杉やヒバの微妙に異なる緑のリーフ達で、リースやガーランドを作って、森の香りに包まれながら、大切な人達とクリスマスを祝って。
その自然の色彩を、自分の手の中で束ねる、贅沢で創作的な楽しみに夢中になっていた。
そんな私の花屋としての第一歩「はじまりのはじまり」は、8年前。
いつか自分の花屋を開きたい、その思いで新卒から7年間続けたOLを辞めて、都内にある生花店で働くようになった。
そのころは、花を使った作品の憧れのデザインや出来上がりの想像はあるものの、それをどうやって作ったらいいのかまだ分からずに、休みの日にはオシャレな花屋さんを訪問し、移動時間は憧れの花屋さんのブログを読む日々。
当時の私は、まだ花の本場であるヨーロッパに憧れてもいたし、自分のデザインを模索することに熱くなっていて、あちこち旅に出ることを妄想してばかりいた。
蜂蜜色のレンガで造られたコッツウォルズの家々に絡まる、五色のツタ。鼻歌を歌いながら楽しそうに花束を組む、パリの街角の花屋さん。
どれも素敵で美しいけれど、私の答えは、そこには見つからなかった。
そんなふうに、「景色」とは場所だと思っていた私の考えを変えたのは、自身が開いたワークショップだった。
来てくださった方達と花束やアレンジを作るのは、何よりも心躍る時間。
参加してくださった人のほとんどは、家に持ち帰った作品を家族に褒めてもらったとか、花に興味の無いお父さんが「花って癒されるな」と言ってくれたと、後に起きたことを教えてくれた。
(母の日ワークショップ)
(息子さんからお母さんへの花束作り)
話を聞いて、ふと思ったのは、私の手を離れてからも、それぞれの家に持ち帰られた花たちは、作った人にも贈られた人にも、何かを伝えてくれているのだということ。参加者の皆さんが自分で作った作品だからこそ想いが何倍にもなって誰かに伝わって、それぞれの場所で想定していなかった物語を生み出している。
大げさだけど、きっとそうなのだと思う。
初めて作るアレンジメントに向かい合う人達と、花屋の仕事がしたいと思うようになっていった自分の経験とを、重ね合わせて見ていた。
少しの花でも、飾るだけで気持ちが上向きに変わったこと。
なんとなく始めた草花のアレンジが楽しくて、やめられなくなってしまったこと。
そんな過去の自分が蘇り、皆が気軽に花を飾り、贈り合う姿を見たいと気づいた。
表現したい景色は、そんな日常。
自分が暮らしてきた普段の生活の中にある習慣や、知らず知らずのうちに身に着けた価値観の中に見える景色が、自分だけのデザインに繋がっていくということなのだと分かった。
それで、私の花屋は、お客様と一緒に「創作することを楽しむ花屋」をコンセプトにした店にしたいと思う。
未だ花屋になる前の自分は、自分でお花屋さんの棚に並ぶ花を選びたかったし、自分の手で贈り物の花束を作れたらいいのにと思っていた。それから、気持ちが向いた時に、気軽に習いに行ける教室があったらいいのにとも思っていた。
もし、それが叶えば、花を贈る人だって、もっと花贈りが楽しくなるし、ワークショップでの出来事みたいに、受け取った人は、花を受け取ることがもっと嬉しくなると思う。
花に興味を持ってくれている人たちが、気軽に立ち寄って、花を楽しめる場所を作りたい。
店名の『チセ』は、アイヌ語で「人が集まる場所」という意味です。
花と人 人と人とが出会う場所になれたらという想いを込めてつけました。
海へのお散歩がてらに『チセ』に遊びにいらしてください。
季節を彩る花たちとあなただけの物語を見つけに。
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